作家チャン・リュジン「私にとって小説は『私が私であるため』の手段の一つです」

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文=ソン・ソクチュ記者、写真=イ・グァンヒョン、初出: 2020.08.05 読書新聞


「彼女の書く本には、いつも変形とねじれがあるだろう。冷静に書くべきときに憤怒に駆られながら書くだろう。賢明な書き方をすべきときに愚かな書き方をしてしまうだろう。登場人物について書くべきときに自分のことを書くだろう」

ヴァージニア・ウルフは評論『自分ひとりの部屋』〔片山亜紀訳、平凡社、2017〕の中で、シャーロット・ブロンテの小説『ジェイン・エア』をこのように批判した。評論集『美しさの知性』の著者オ・ギリョンは「作家が登場人物に対するバランス感覚を保てず、その結果、女性の置かれている現実に対し『自分自身』の怒りをストレートに表現すれば、作品本来の姿は壊れてしまう」と指摘する。つまり、ウルフの考える良い小説の条件とは、作家の怒りによって作品本来の姿が損なわれていないことである。

ウルフの批判はチャン・リュジンの小説には当たらない。彼女の小説は現代女性の置かれている現実を暴きながらも、その内容やスタイルが作家自身の感情や傾向による制約を受けてはいない。作家の手の及ばない「余地」が残された小説だ。つまりチャン・リュジンは小説を読み手の自由に任せているのだ。これは、作家である前に、この社会を誠実に生きる人であり、社会を客観的かつ賢明に見つめる観察者だからであろう。

例えば小説家は、セミ(または自分)が負った傷に涙したり、飾り立てた言葉でそれを描写したりする人ではない。小説家は、セミの声が聞こえなくなった夏の日に、なぜセミが鳴くのをやめたのかを真剣に考える人であり、セミの鳴き声を思い浮かべられる人だ。言うなれば、良い小説家の第一の要件は、書き心地のいい高級鉛筆を持つことではない。世の中と適度な距離を置きつつ、そこに生きるものたちを自分なりに観察する瞳を持っていることなのだ。

『仕事の喜びと哀しみ』は、チャン・リュジンが緻密な観察を重ねることによって生まれた小説集だ。では、彼女は自分の小説と、それに対する世間の反応をどのように「観察」しているのだろうか。彼女との対話をここに記す。

Q. 初の小説集『仕事の喜びと哀しみ』は大きな人気を博した。そのことについての感想と、一番記憶に残っている読者の反応は。

A. 私はウェブやアプリのサービス企画者として長く働いていました。この本の発売日、書店やネットで販売が開始された瞬間の気持ちは、自分の企画したサービスの運用が始まるときの気持ちとよく似ていておもしろいなと思いました。発売前の準備やその後の流れは、サービスと本とでは同じではありませんが似ていました。どちらも公開と同時に命が吹き込まれ、みずから飛び立っていく姿を後ろから見守っているような感じがします。

印象深い読者の反応はたくさんあって、「一番」記憶に残っているものを一つだけ選ぶのは難しいですね。これからもチャン・リュジンという作家を信じて読んでいきたいというメッセージは、身が引き締まる思いがしつつもうれしかったです。

Q. 若者の生活感覚や現代の社会問題を物語に溶け込ませるのが非常にうまいと思った。小説の素材はどうやって見つけるのか。

A. 普段からよく、無意味(に思えるよう)なことを考えたり想像したりしますが、そういうところから着想することが多いです。日常からかけ離れすぎていない、ちょっとした想像です。例えば、こういう状況でこんな人がいたらどんな行動を取っただろう。あるいは、こういう場面でこの言葉ではなく 別の言葉を言っていたらどうなっていただろう、という感じです。

Q. 子どものころ一番好きだった(あるいは影響を受けた)小説は。

A. 小さいころは知耕社(チギョンサ)の児童小説シリーズをよく読んでいた記憶があります。世界の名作とかではなく、韓国の童話作家による創作長編小説です。童話とヤングアダルト小説の中間くらいの感じでした。昔のことなので具体的な内容は思い出せませんが、本棚に並ぶ本の背表紙にある出版社のロゴや本の質感、表紙の絵、そしてあまりにおもしろくてのめりこんで読んだその楽しさは、今も覚えています。とりわけシム・ギョンソク先生の名前は特に記憶に残っています。そのシリーズの本はけっこうたくさんあったんですが、シム先生の作品はどれも抜群におもしろいと感じました。なかでも『友よ、またね』は唯一、今もあらすじを覚えている作品ですが、当時は大泣きしながら読んでいました。私と同じ年代で、子どものころ本が好きだった人なら、きっとこの本を覚えていると思います。

Q. 長く会社に勤めたあと大学院にまで行って小説を書くことを学んだと聞いた。小説を書かねばならないという思いがあったのか。

A. そのような思いは特になかったと思います。「書かねばならない」というより、「書きたい」という欲求に近かったと思います。専攻は国文科でもなかったし、学部時代は小説を書こうと思ったことは一度もありませんでした。でもジャンルに関係なく本を読むのは好きでした。

専攻が社会学だったので、小説のようなフィクションではありませんが、自分の考えを論理的にまとめて文章にする機会は多かったです。そうやって4年間ずっと書いていたのに、卒業後は書くこととは無縁のIT企業に就職したので、漠然と何か書きたいという思いがずっとありました。ネットで「ライティング講座」を検索して見つけた文化センターの「小説創作基礎」の講義を受けるようになったのが始まりでした。2~3年間、文化センターに通って小説を書きました。その後まったく書かない時期も2~3年あったのですが、やはり書きたいという思いは消えずに残っていたので結局、大学院にも行くことになりました。論文は書かなかったので卒業はできませんでしたが。大学院修了後はまた同じ業界に就職したのですが、再就職3日目に、新人賞の公募で当選したという連絡をもらいました。

Q. 最初に書いた小説はどんな内容だったか。

A. 若い大学生カップルがホテルに行くお金がなくて「できない」という内容でした(笑)。

Q. 最近、小説投稿サイトを見ていると、会社に通いながら小説やエッセイを書いている人が多い。そういう人へのメッセージがあれば。

A. 書かずにはいられない人たちがいると思います。そういう「人種」が存在するのではないかと(笑)。何か書きたいという思いは生まれ持ったもので、どうすることもできない欲求だと思います。そういう欲求を持っている人たちは、遅かれ早かれ、何かしら書くようになるんだと思います。ただ私は、収入を手放してまで小説や文筆に専念するよう勧めるつもりはありません。書くことより食べていくこと、生活を回していくことのほうがはるかに大事だと考えるので、私自身もかなり長いあいだ、その二つを並行していました。でも、これは単なる私のスタイルであって、書くことに専念したほうがいい結果を出せる人や、結果にかかわらず専念したいという人もいるでしょう。そういう方は聞き流していただければと思います。

Q. 小説は主にどこで書いているか。どのように作業しているか。

A. カフェで書いたり、図書館や家で書いたりもしますが、周期的に場所を変えて書くタイプです。図書館は新型コロナのせいで閉鎖され、もう長いあいだ利用していません。ですので、家かカフェかということになりますが、毎日変えるのではなく、例えばカフェで2~3週間書いて飽きてきたら家でまた2~3週間書く、という具合です。筆が進まないときは、とりあえずキーボードに指だけでも乗せておこうという気持ちで、本当にただ 乗せているだけのこともあります。

Q. 趣味は? 映画もよく観るか。最近観た中で記憶に残っている作品は。

A. 一番好きな映画は是枝裕和監督の『本当に起こるかもしれない、奇跡』〔韓国語タイトル〕とマイク・ミルズの『わたしたちの20世紀』 〔同左〕です。どちらも原題の『奇跡』、『20th Century Women』 のほうが、内容にははるかに合っていると思いました。同じ映画を何度も観るタイプではありませんが、この2作はどちらも3回以上は観たと思います。

Q. 『仕事の喜びと哀しみ』収録作のうち、『読書新聞』の読者に特に紹介したい作品は。

A. 「真夜中の訪問者たち」という作品です。本当は全部お薦めしたいのですが(笑)。一人暮らしの女性の家の呼び鈴を夜ごと謎の男性たちが鳴らすのですが、その怪しい訪問者たちの正体が少しずつ明らかになっていくという話です。これに似た刑事事件が少し前にニュースで取り上げられているのを見て、この小説のことが頭に浮かびました。まさに「事実は小説より奇なり」だなと思いました。

Q. 『仕事の喜びと哀しみ』収録作の「助けの手」と『第11回若い作家賞受賞作品集』に収録された「教習」は微妙につながっている連作小説のようにも感じた。どちらも経済的に余裕のある若い女性が中年女性をそれぞれ「家政婦」「運転教習の講師」として雇うことによって起こる出来事が描かれているが……。

A. 数年前、ある革新系政党の国会議員の「アメリカーノ事件」が議論を呼んだことがありました。会議のたびに補佐官にアメリカーノを買いに行かせるというのが問題になったのです。なぜ自分が飲むコーヒーを自分で買いに行かず補佐官に行かせるのかと。その後、国会議員の身分ではなくなってから、その人がメディアに出演して当時のことを釈明しているのを耳にしました。自分の行動にはまったく問題がなく、これからも買いに行かせると自分の口ではっきりと言っていました。そしてこうも言いました。「国会議員には国会議員の役割があり、補佐官には補佐官の役割がある。単なる役割の違いであって、人格の違いではない。国会議員と補佐官の役割が違うだけで人格は同じだ」。最初はその発言が正しいように思えました。でもどうもすっきりせず、引っかかっていたんです。それで、その発言をずっと考えていました。

人格は同じで役割が違うだけだと言っていたけれど、それならば誰かが魔法の薬を二人に渡して「この薬を二人が同時に飲むと明日から役割が入れ替わって、国会議員は補佐官に、補佐官は国会議員になる。役割が違うだけで人格は同じだからいいよね?」と言ったら、誰が薬を飲みたがるだろうか。そんなことを想像しはじめました。当然、補佐官だけが飲もうとし、国会議員は飲もうとしないのではないか、と。国会議員と補佐官だけではなく、教授と大学警備員、中産階級の共働き夫婦と家政婦というケースもあるだろう。つまり、誰かが「あんな発言(役割が違うだけで人格は同じだ)」をするのは結局、相手を思ってのことではなく自分を正当化するためではないのか。そんな考えが次から次へと浮かびました。「助けの手」を書いているあいだずっと頭から離れなかったのは、そういう考えでした。

「教習」はまったく別の思いから生まれたのですが、結果的に連作のように なりました。私も初稿を書き終えてから気づいて、驚きました。その2作は続けて発表しましたが、それぞれの作品を構想して初稿を書くまでの時間差が実は1年以上あります。「助けの手」を書いたあとに残っていた気持ちがここに吐き出されたんだな、とあとになって気づき、「創作活動を続けていく」という言葉の意味をおぼろげながら理解することができました。

Q. 小説を書くときに一番大事にしていることは。

A. 約束(締切)を守ることです。締切日の日付が変わらないうちに提出し、もし遅れそうなら1週間前に担当者に連絡して締切日を設定しなおしてもらいます。このやり方をいつまで続けられるかわかりませんが、できる限りは続けていきたいです。

Q. 今書いている小説の内容を大まかに説明するとしたら。

A. 未発表の小説の内容を話してしまうと、それに縛られて自由に書けなくなりそうな気がするんです。それに、話したとおりに書いたとしても、話してしまったことで勢いがしぼんで書く気がそがれてしまうのではないかという強迫観念があって(笑)。自分だけのジンクスのようなものです。

Q. 今後の計画は?

A. 2020年は長編を主に書くつもりです。多分、年末にオンラインで連載が始まると思います。私が計画どおりにやれれば、の話ですが(笑)。短編は来年からまた書くつもりです。

(翻訳:牧野美加)


チャン・リュジン Profile
1986 年生まれ。延世大学にて社会学を専攻。2018 年に本書の表題作「仕事の喜びと哀しみ」で創批新人小説賞を受賞し、デビュー。
本書『仕事の喜びと哀しみ』は2020年の「書店員が選ぶ今年の本」小説部門に選ばれた。
このほか、2020年に第11回若い作家賞、第7回沈薫文学大賞を受賞。

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