世の中の公式を痛快に打ち破る――『仕事の喜びと哀しみ』刊行のチャン・リュジン インタビュー

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初の小説集『仕事の喜びと哀しみ』を刊行したチャン・リュジンに2019年10月28日、ソウル市中区の京郷新聞社でインタビューした。同書はIT企業で働く会社員や、結婚式の招待状をめぐって繰り広げられる神経戦、複数の会社で契約社員として働き、ついに正社員になった人の物語を描いている。
(文:京郷新聞イ・ヨンギョン記者、写真:イム・ユジョン/初出:京郷新聞2019.11.04


チャン・リュジンの小説を読むと電卓が思い浮かぶ。最先端のトレンドやライフスタイルを手にしつつ、もう一方の手では電卓を叩く登場人物たち。例えば「幸せになります」には、結婚式の招待状をめぐって神経戦を繰り広げる二人の女性が登場する。

「25,000(ご祝儀代わりにおごってくれた食事代)-13,000(私が招待状を渡すときにおごった食事代)=12,000」

社会人にとって“結婚式”とは、招待状を渡す席で出した食事代とご祝儀の金額が一致しなければならない“公式”のようなものだ。だが、主人公の同僚で世間知らずのピンナオンニはその公式を見事にぶち壊す。3年間も連絡を取り合っていなかったのに急に招待状をくれと言いだし、招待状を渡すため一緒に入った食堂では普通のエビ丼より4,000ウォンも高い「特」エビ丼をおごってもらいながら、結婚式の日にちを忘れて参列しなかったピンナオンニの態度に、「私」はこう言う。

「ピンナオンニに教えてあげようとしてるのよ。世の中がどんなふうに、どんな原理で回っているのか。5万ウォンを出すから5万ウォンが返ってくるのであって、1万2,000ウォンを出したら1万2,000ウォン分のお祝いをもらうんだって」

結婚式の招待状を配った経験のある人ならこんなふうに電卓を叩いたことが一度はあるだろう。チャン・リュジンは誰もが経験したことがあるはずの、微妙で緻密な胸算用を描きだした。整然と入力されたエクセルファイルのように。

文壇デビューからまだ1年〔訳注:インタビュー当時〕のチャン・リュジンは「大型新人」だ。2018年の創批(チャンビ)新人小説賞を受賞した短編「仕事の喜びと哀しみ」は、インターネット上で公開されるとアクセス数が40万回を超えるほどの爆発的な人気を博した。板橋(パンギョ)テクノバレーを舞台に、会社員の「喜びと哀しみ」が緻密に生き生きと表現されている。その後、オファーが殺到したのは当然の流れだ。デビューから1年で短編集『仕事の喜びと哀しみ』(チャンビ)を刊行し、ほどなく4刷を重ねるなど大きな反響を呼んでいる。ソウル市中区の京郷新聞社で2019年10月28日、著者チャン・リュジンにインタビューした。

「自営業でない限り、誰かの下で働く人がほとんどですよね。職種は違っても、日々働きながら生きていく人たちが、物語を自分に重ねて読んでくれたんだと思います」

上司の機嫌を損ねたために給料をカードのポイントで支給されることになるものの、ポイントで購入した物を中古品取引アプリで売って現金化するという「神の一手」を繰り出す会社員(「仕事の喜びと哀しみ」)。彼女は世の中の公式を痛快に打ち破ってみせた。ほかにも、真夏に2,000ウォンに値下げされているホットコーヒーか4,500ウォンのアイスコーヒーかで葛藤する会社員(「101回目の履歴書と初めての出勤」)や、結婚7年目にしてようやく購入した家に家政婦を雇い入れる女性と1万ウォンの差で仕事ぶりが変わる家政婦との微妙な駆け引き(「助けの手」)などが描かれている。

だが、いくら一生懸命電卓を叩いても、公式そのものが間違っていることもある。「幸せになります」の「私」は同期入社の夫より年収が1,030万ウォン少なく、社内じゅうで「仕事ができる」と評判になるほど努力して初めて希望部署への異動がかなう。食事代とご祝儀を一致させる公式は一目瞭然だが、1,030万ウォンの差を計算する公式は「私」にはない。

「招待状をやり取りする二人の微妙な神経戦のように見えるかもしれませんが、会社という組織の中で女性労働者たちがどんな待遇を受け、どんなふうに扱われているのかを描きたかったのです。『私』とピンナオンニは対立しているようでいて、実は女性労働者としては同じ立場だと考えたんです」

「真夜中の訪問者たち」は買春男性と売春女性への見方を覆してくれる。オフィステル売春を利用しようとして間違った部屋を訪れた男性の姿は、ドアののぞき穴を通して、鏡に映したように赤裸々にさらけ出されている。チャン・リュジンは「一人暮らしをしていたころ、夜中に呼び鈴が鳴り、のぞき穴から見てみると見知らぬ男性が立っていて怖い思いをした。実際の体験から生まれた物語」だと話した。

大学で社会学を専攻し、「仕事の喜びと哀しみ」の主人公のように板橋のIT企業で働いていたチャン・リュジンは、社会人になってから小説を書きはじめた。「就職後、文章を書く機会がなく、物足りなさを感じていた。ライティング講座を調べていて小説を書く授業を見つけ、受けてみたらすっかり夢中になった」と述べた。

そうやって小説を書きはじめた彼女は、これまでとは違った「仕事の喜び」を手にした。会社勤めをしながら1年間、1冊の本を出せるほど小説を書きつづけてきたが、「会社を辞めてもやることはありそうだ」と考え専業作家の道を歩みはじめたのだ。「書くのはとても骨が折れるけれど快感のようなものもある。小説が完成すると言葉では言い表せない喜びを感じる。ずっと、もの書きでありつづけたい。書きつづけながら、自分はどうして書くことが好きなのか、その答えを見つけたい」と語った。

彼女の小説の中にただ一人、世の中の公式から完全に外れた人物がいる。YouTubeで有名人になるものの自身の音楽世界を追い求めるあまりチャンスを逃してしまう、「やや低い」の無名ミュージシャンだ。電卓とエクセルファイルで完全武装した会社員や、世の中の公式から外れ自分だけの価値を追い求めるミュージシャン。彼らの物語のどこかにチャン・リュジン自身の物語があるのではないだろうか。次の作品が楽しみだ。

(翻訳:牧野美加)


チャン・リュジン Profile
1986 年生まれ。延世大学にて社会学を専攻。2018 年に本書の表題作「仕事の喜びと哀しみ」で創批新人小説賞を受賞し、デビュー。
本書『仕事の喜びと哀しみ』は2020年の「書店員が選ぶ今年の本」小説部門に選ばれた。
このほか、2020年に第11回若い作家賞、第7回沈薫文学大賞を受賞。

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