『仕事の喜びと哀しみ』著者チャン・リュジン インタビュー :登場人物たちは「どこかに所属して働いている」姿がしっくりくる

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文=イ・ダヘ、写真=ペク・チョンホン、初出:2020-03-12 CINE21

Q. 作品の収録順序はどのように決めたか。

A. 一切タッチしなかった。経歴10年の編集者の腕を信頼して全面的に任せた。結果的にとても満足している。読者からも「タンペレ空港」を最後に持ってきたのはよかったと言われたし、最初の「幸せになります」「仕事の喜びと哀しみ」という並びは私自身も気に入っている。

Q. 現代では、「いち早く時代の波に乗ること」と「遠い未来まで見通すこと」という両立し難い二つを両立させられるかが「仕事」をするうえでカギとなる。会社を辞めて専業作家の道を選んだとき、「今現在」と「遠い未来」について悩んだと思うが。

A. 私は「今現在」だけを考えるタイプだ。何が起こるかわからないし、この先どうなるかもわからないので、遠い未来のことはあまり考えない。面接や面談でも「10年後、この会社でどんな役割を担っていると思うか」という質問が一番嫌いだった。でも、会社を辞めるときは、当面はやることがあるだろうと考えていた。「前途は見えないけどやりたいことをやる」タイプではないということだ。

Q. 会社を辞めて大学院に入り、その後再就職した。一度目の退職はどんな感じだったか。

A. 退職は心に決めていた。入社6、7年目だった。IT業界では自分がもっとも「売れる」時期だと判断してのことだ。即戦力になるので6、7年目はポストが多く、実際にすぐ再就職できた。一度目の退職前、オンラインで受講するサイバー大学の修士課程を1年だけ履修した。それと並行して編入の準備をし、通学制の大学院への編入が決まってから会社を辞めた。修士課程を修了したあと、また小説を書きはじめた。私の描いたもっとも大きな未来図の一つだ。

Q. 会社員と小説家の最大の違いは何か。

A. 会社で働いていたときは仕事と自分自身を意識的に切り離すようにしていて、それが自然にできていた。でも小説を書いているとなかなか切り離せなくなってしまう。作品に対する評価を私自身への評価であるように思ってはいけないのだけれど。

Q. 「仕事の喜びと哀しみ」はインターネットでの公開後、アクセス数が40万を超えた。元同僚たちは読んで何と言っていたか。

A. 特に記憶に残っているのは、昔一緒に働いたことのある、過労で苦しんでいたiOS開発者からの長文メッセージだ。〔作品に登場するプログラマーの〕ケビンを自分に重ねて読んだ、仕事についていろいろ考えさせられたと。「Jace〔著者の姓“Jang”と“エース”を組み合わせた著者の愛称〕、幸せな開発者になってみせるよ」と書いてあった。今思い出しても涙が出る。そのとき文学への熱い思いがこみ上げてきた(笑)。これが小説の力なのか、と。自分が長年、会社に所属して働いていたので、登場人物たちもどこかに所属して働いている姿がしっくりくる。仕事が話の展開の要となっていることもあるし、そうでないこともあるが、収録作中5編は職業を持っている人たちの物語だ。

Q. 短編の最後に、五線譜の「反復記号」をつけられそうだと感じた。主人公は次の日、次の会社、次の家で同じようなことを経験するかもしれない。作家自身の経験が反映されている部分もあると思うが。

A. とても好きな場面がある。「101回目の履歴書と初めての出勤」で主人公がスケーリングしたての歯を車窓に「いー」と映し出すところ。「タンペレ空港」にも入れていたが最後に削った。私が同期たちと入社前健康診断を受けたときの経験だ。「仕事の喜びと哀しみ」のラストの、主人公がチケットを予約するため会社に残っている場面は、私がペッパートーンズ〔韓国の2人組バンド〕のコンサートのチケットを予約しようと残っていたら、どうして帰らないんだと会社の人に聞かれた経験をそのまま描いた。

Q. 「俺の福岡ガイド」をジユではなくジフンの目線で書いた理由は。

A. 福岡を旅行したとき大濠公園がとても気に入った。ここで暮らせたらいいなと思っているうちに、もしここに韓国人女性が住んでいたらどんなことが起こるだろう、誰を招待するだろう、結婚はしているだろうかといったことを想像しはじめた。でも、話者は最初から男性を考えていた。「信頼できない話者」を主人公にしようと。さらに、村上春樹の『女のいない男たち』という短編集を読んでいて思うところがあった。客観的に見て男性主人公たちのどこに魅力があるのかわからないが、彼らはモテて、いきなり女性たちと関係を持つようになる。自分に酔いしれている男性主人公がおもしろかった。とりあえずジフンはイケメンという設定にした(笑)。

Q. 「真夜中の訪問者たち」は女性が自分のプライベートな空間で、売ってもいない性を買いに来た男性たちと対面する物語だ。一人暮らしの女性たちの恐怖をかき立て、「私の彼氏は違うわよね」という「まさか」が「やっぱり」に変わる瞬間まで描き出している。でも結局、何かが起こるわけではない。

A. 8編のうち一番手を入れた作品だ。書こうと思ったきっかけは単純だった。ワンルームマンションに転居したとき、本当にあっという間に引っ越しが終わった。それでワンルームという空間について書いてみたいと思った。女性が一人で暮らす空間について書こうとすると、どうしてもその空間にまつわる恐怖を書かないわけにはいかなかった。見知らぬ男性とドアののぞき穴を通して対面する場面は、私が実際に経験したことだ。「あれ、何も起こらなかったな」「部屋に入っては来なかったな」。そう思うとほっとして特に通報もしなかったが、あとで考えてみると買春目的の人だったのではないかと思った。また別の事件もあった。住んでいた家の前が分かれ道になっていて、一方にはオフィステルが並び、もう一方には“夜の街”が広がっていた。ある日、道で誰かが挨拶してきた。どなたですかと聞いたら、ここで働いている人じゃないのかと言う。違うと言って家に帰ってきたが、「謝ればそれで終わりなのか? あの人は金で女を買う人なのに……」という思いが湧いてきた。私はそういうことをする人間ではないから関係ないと思ったのではなく、あの人はいずれ私のことも金で買えると考えるだろうと思った。そういう考えが組み合わさって、この物語ができた。

Q. 何か決断をくだすとき、喜びと哀しみのどちらを重視するか。

A. 私は感情の起伏が激しいほうだ。すぐ喜び、すぐ落ち込む。その振れ幅や落差から生まれるエネルギーで人生が回っているのではないかと思うこともある。だが、決断をくだすときは一種の自己暗示をかけるというか。自分のことは自分が一番考えるので、せめて自分だけでも「きっとうまくいく」と楽観的に考えるようにしている。

(翻訳:牧野美加)


チャン・リュジン Profile
1986 年生まれ。延世大学にて社会学を専攻。2018 年に本書の表題作「仕事の喜びと哀しみ」で創批新人小説賞を受賞し、デビュー。
本書『仕事の喜びと哀しみ』は2020年の「書店員が選ぶ今年の本」小説部門に選ばれた。
このほか、2020年に第11回若い作家賞、第7回沈薫文学大賞を受賞。

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